26話を読む前に、書こう書こうとしていてなかなか書けなかった25話からの考察・・・というより私なりの推察みたいなものです。いつも矢代は百目鬼がきっかけで過去のことを思い起こさせられるんですよね。憂いはない、後悔はいないと強く思っている矢代ですが、百目鬼と一緒にいることで過去がフラッシュバックしてきます。今回も百目鬼とのエロが終わったあとにまた過去の自分が出てくるんですね。それを今回ちょこっと推察していこうと思います。
25話に関しては、こちらの記事を読んでみてくださいね。
[kanren postid="801"]
「あぁ どうして今」過去の泣いている自分を思い出したのだろう?
矢代が過去を思い出す時はこれまで1度ありましたよね。これが2度目でしょうか。
1度目は撃たれた時。
百目鬼の姿を見ながら意識が遠のき、走馬燈のように人生を振り返った時でした。
襖の隙間から見える光。
寝ている母。
犯されている自分。
痛がると子供ができる、子供ができたらお腹が大きくなって、おじさんと子供ができるような行為をしている悪い子だってバレるなみたいなことを言われガマンしていたんですよね。
このとき、血が出ていて「気持ちいいだろ?」と言われた時子供の矢代は首を横に振っているんですよね。「嘘をつくな」と言われていますから。・・痛みに耐えていたのだと思うと切ないです。
そして漂えど~の高校生の自分に変わります。
「人間を好きになる孤独を知った」
「それが”男”だという絶望も知った」
「俺はもう十分知った」
この「人間を好きになる孤独」ってどういう意味だろう?とずっと思ってました。
「人を好きになると孤独になる」・・・影山と矢代の場合、矢代の一方通行だったわけですよね。
人を好きになると、自分に意識を向けて欲しい、自分を見て欲しいという気持ちも少なからずもっていたのでしょうね。
でも影山は自分の思い通りには動いてくれなかったというのは読んでたらわかります。
自分の気持ちと同様な感情は影山からは返ってこなかったわけです。
影山は漂えどの時に「俺はお前が大切だ親友として」と言っています。
この「親友として」という言葉に笑いがこみ上げてきてゲラゲラと笑い転げたという場面がありました。
そしてこの後自宅に帰り、孤独を感じて泣くわけです。
この感情を自分一人が持っていることへの孤独。
言われのない共感をされ、おまえはひとりだから可哀想なやつだと思っているとさえ言われます。
自分と影山は違う感情を抱いて一緒にいたわけです。
これが「好きになる孤独」なのだと感じました。
この涙を流しているときも光が印象的ですよね。逆光ですがコメントでもいただいたのですが何か矢代の心情が描かれるときは光が使われていると。
確かにそうだと思います。
そして2度目の過去の場面ですね。
25話の事後、薄らぐ意識のなかでフラッシュバックしてきます。
「どうして今」の今というのを考えるのですが、これは次のページからの矢代が作られた彼だからだと思いました。
泣きながらガマンしている子供の矢代。(最初は痛くて気持ちいいだなんて思っていないですよね。これは2巻のフラッシュバックのところを読めばわかります)
「痛いの好きだよな」 「うん」
私は途中、この義父には女の子のように扱われていたのでは?と思ったのですが、これが違いましたね。
この義父はけっこう暴力的だったのでしょう。
言うとおりにしないと・・・という気持ちが働いたのかも知れません。
まだ泣きながら耐えている矢代が次に描かれています。
そして、中学生の矢代でしょうか。
「痛くないと感じないんだ ー俺」
これは自己防衛からそうなったのだろうと思います。
そして次のページではカーテンから漏れる光を見ながら涙を流す矢代がいました。
このとき、矢代はどうして涙を流したのでしょうね。
私はここの涙は・・・痛いのをガマンしてガマンしてそれを「快楽に変えてきたマゾの自分」が壊れた瞬間だと私は思いました。
壊すな俺を
先ほどの涙はここに繋がると思いました。
百目鬼に抱かれたら、必死に作ってきた自分が壊れてしまうと矢代自身もわかっていたのだろうと思います。
「壊す・・・な 俺を」
というセリフが出たことで、私はやはり矢代のマゾは自己防衛で自分を守るため、自分自身を受け入れるために被った仮面なのではないかと考えました。
壊しませんという百目鬼に対し
(そうじゃない)
(でも それならいっそ)
(この身体ごと痛めつけてくれ)(今まで何度も そうされてきたように)
これに続くわけですよね。
でも、そんな気持ちとは裏腹に、身体は百目鬼との優しいエロで感じるわけです。優しくキスをされ、優しく扱われながらそれでも達してしまいます。
前からはイヤだ、後ろがいいと言えば後ろからしてくれる百目鬼。
↑この辺、酷く扱われたいと言いながら矢代はしっかりと自分の希望を言っているんですけどね。(これは顔が見えない方がいいからなのだと思いますが、好きなようにやってちょうだいスタイルの矢代を考えたら徐々に仮面がはがれてきているのでは?と思いました。)
顔がみたいと言う百目鬼に、ダメだと言う矢代。
そんな矢代を気遣って百目鬼が枕のようなものをひいたりと優しく気遣うんですよね。
それをみて「そういうところが腹立つ・・・」と言ってこのとき矢代からキスをします。
「痛くして」「しません」のやりとりのなかでもしっかりと百目鬼の首に矢代の手がまわっててちょっと萌えましたけども!!!
「そんなことしなくてもこんなに・・・」という百目鬼に「もっなっ・・・んで」とこのとき矢代も痛みが無くても感じている自分を直視するわけですネ。
百目鬼と一緒に達した後・・・過去の自分を振り返るという場面になります。
涙はやはり、百目鬼によって今まで被っきた仮面が外されたからだと思います。
矢代が涙を流したのは、これで2度目。(幼少期の涙はちょっと外させてもらいますね)
1度目は漂えど~の「人間を好きになる孤独を知った」という時に感情があふれ出し孤独感やさみしさで涙を流した時でした。
今回の涙は・・・仮面が外れ、また「人間を好きになった」と自覚したから流れ出たものではないかと個人的には思いました。
好きになったのが「男」だという絶望も知り、「惚れたりとかもういい」と竜崎との過去編(3巻に収録されています)でも言っています。
また、孤独を感じてしまう百目鬼への気持ちを自覚したからこそ流れた涙でもあると思いました。
矢代は震える右手を見つめ、そして・・・左手で右手を支えながら顔を両手で覆います。
この行為はなんだろう?と。泣いているから?と思ったのですがコメントで「はずれかかった仮面をまたつけたように思えました」といただきました。
私もそうだと思いました。
涙を流した時、明らかにつくりあげてきた矢代の仮面ははずれたのだと思いました。
この行為は、その外れかかった仮面をまた矢代がつけたのだと思います。
無表情な次ページの矢代は仮面をしっかりつけた彼ではないかと。
それはきっと、矢代の決心でもあり、これから彼がつけるべき決着のためには必要なものだったのでしょう。
そして、寝ている百目鬼を置いて、ひとり部屋を出て行く場面で終わっています。
ここの25話では、本来の矢代が出てきたのだと思います。人間らしいというか、本当はマゾではない好きな人もきちんとできる「人間嫌い」ではない彼。
でも、それを自覚したからこそ矢代は何かを決心して部屋を出て行ったのだとここでは思いました。
仮面の男/まとめ
矢代は、過去のトラウマがそうさせたのでしょうが今まで仮面を被り本来の自分を偽って生きてきたのだと改めて思いました。
全部受け入れてきた、憂いはないと言ってた彼ですが、何かあることにこの幼少期の場面がフラッシュバックしているということは受け入れたい、受け入れたくない、そんな矛盾があるからなのではないかと。
「人間は矛盾でできている」(漂えどの冒頭)矢代の場合は本当にコレなのでしょうね。
まだまだ百目鬼との関係にはこの自己矛盾でハラハラさせられるかもしれませんが、きっと百目鬼のまっすぐさに救われていくのではないかと思います。
「人間を好きになる孤独を知った」という彼が「人と愛しあえる幸せを知った」という風になっていきますように。
その前には、組内部の抗争に決着つけなければいけませんね。
26話は抗争にうつるかと思いますが、どうなるか本当にドキドキです。矢代は百目鬼を置いていくというか、もう関わらせないようにするのだと思います。
またつけた仮面を外すときが早く来ますように・・・。
ということで、26話、GETしに行ってきます。
ということで、囀る鳥は羽ばたかない25話からの推察でした(#^.^#)